其の三十五
ラジオにただいま
先日、早朝山歩きの場所まで車で向かう途中、ラジオからなんとなくいい曲が流れてきました。一青窈さんの「ただいま」という曲でしたが、久しぶりに歌詞ごとじっくりと聴いてしまいました。
最近はただもう忙しくて、流行りの曲を聴くと言うこともなく、どんな曲が流行っているのかもわかりません。娘に教えてもらっているのが精一杯です。自然と昔から聴いている慣れた曲だけをたまに聴くという典型的な「オヤジ化」状態ですね。・・・
ここまで書いてから急激な忙しさのために二カ月ほど何も書けない状態になってしまいました。考え事をする暇もなく、自分の意志とは関係なくどんどん時間が流れてしまいました。そもそも何を書こうか忘れてしまいましたが、今日はたまたま少し時間ができたので、思い出しながら続きを書こうと思います。
私の記憶に残る曲は色々ありますが、曲とその頃のできごとがセットになって思い出されるものです。その曲が好きとかだけではなく、「あの頃こんなことがあったなあ・・」という感じです。小学校の5年生の時、はじめて買ったLPレコードが「五木ひろし」のベストアルバムでした。ちょうど「夜空」でレコード大賞をとった頃です。空手と剣道を始めたころで、武道館の帰りに口ずさんでいました。ちょっとオヤジな小学生でしたね。
中学生のころはもっぱらビートルズでした。従兄の高校生にもらったテープをすり切れるほど聴きました。わたしはハマり屋だったので、ビートルズ関係の本をいろいろと読んでその軌跡を調べたものです。ビートルズの歌詞を訳す為に英語の勉強をしたようなものでした。
高校の頃から「中島みゆき」の世界に入っていきました。私は高校2年から下宿して一人暮らしを始めたので、タイミングとしてピッタリだったのでしょうね。私は、高校1年の時は、石川町から郡山市の高校まで朝5時35分の始発で通っていました。高校の帰りに郡山の道場で稽古をしていましたので、帰りは最終です。帰宅がほぼ夜の10時でしたので、何しに帰っているのかわからないほど家にいる時間が短かったものです。私は別に苦ではなかったのですが、私の生活に合わせていた(食事や弁当の世話)母親がたおれてしまったことと、盧山初雄館長の指導をもっと受けようと思い、下宿に踏み切ったのです。高校の担任の先生に紹介してもらい下宿を決めました。今では考えられないことかも知れませんが、実は私が高校の時に下宿するときからずっと、(つまりそのあとの東京での大学生活、それに平行してた内弟子生活を終えて)福島に教員として帰省するまでの10年間、私の母親は私がどこに住んでいたのかを知らないのです。高校卒業後は父親もそれを全く知りませんでした。内弟子をしていたことも知りません。部屋探しもすべて自分で行いましたので、放任もここまでいけばたいしたものというものです。それはそれで私にとってはよかったので何とも思っていませんが、よその人はこの話を聞くと結構驚くようです。
勝手放題を許してもらった分、泣き言は言えませんでしたのでそれはそれで大変でした。金がなかった話は以前書いたとおりです。この頃何が辛かったといえば、「空腹」と「孤独」です。金がないので腹か減るのは当然ですが、それ以上に誰とも会わない日、一度も会話をしない日がけっこうあり、これは結構きつかった思い出です。別に友達がいないわけではなく、東京に出た頃はむしろ溜まり場になるほど友達が押しかけてきていました。しかし、いつの頃からか自分はいったい何しに福島から出てきたのかわからなくなり、それまでの友達とは距離をおくようになりました。さらに思い切って最初の池袋のアパートからも1年目で練馬に引っ越しました。そうなるとアルバイトも禁止でしたので空手の仲間以外とはまったく会話の機会がなくなってしまったのです。興照寺へ内弟子の稽古に行っても誰も稽古に来ていなくて、夜の稽古も休みの時など、1日中まったく人と話をすることがないのです。それが何日か続いたときなど、本当に人恋しくなるのです。だれか友達のところでも訪ねていけはよいのですが、それをやったら自分に負けだと思い、変な意地で我慢しました。どんなに盧山館長の稽古が厳しくても、盧山道場から逃げなかったのは、孤独よりはマシと思ったからなのかも知れません。
夜、誰もいないアパートに帰り、それでも「ただいま」といってラジオをつけた頃が何とも言えず懐かしいものです。何を聴きたいというものではないのですが、人の話が流れてくるだけでホッとするのです。19歳の頃、もっとも1人暮らしが身に染みた頃、よく朝方まで眠れなくて、腹が減ってなけなしの小銭を集めて池袋の「吉野屋」に行ったものです。その時間なりの客がポツリポツリといて、それぞれがそれぞれの人間模様を持っているのでしょう。誰も会話をすることなく、同じ時間と空間を共有しているのですが、忘れられないひとときです。その頃中島みゆきの「狼になりたい」という曲をよく聴いていましたが、「夜明け〜間際の〜吉野屋あでは〜」という歌詞とピッタリと合った生活をしている自分がありました。遠い遠い過去の思い出です。
今では、仕事や家族、友達とのドタバタした毎日で、1人になるなんて考えられないことです。いつも誰かとのやりとりに追われ、自分のことなどほとんどできません。ふと昔のひとりぼっちが懐かしくなるときがありますが、贅沢な悩みなのかも知れません。ただ、ひとりぼっちの時というものは、時間というものが自分の好きなように使えるわけで、「考える」という作業が十分なほどできるのです。本当に思考力が研ぎ澄まされ、自分の脳がどんどん活性化されるのです。一歩間違うと気が狂うのでしょうが、ある時期は必要なこととも思うのです。おそらく、昔の武道家の「山籠もり」も実はこんな状態を意図的につくるためなのでしょう。修行においては不可欠な時間なのだと思います。
人恋しさに流されて、貴重な時間をダラダラと友達づきあいや恋愛ごっこに費やしている今の若者(今とは限らない、若者だけとも限らない)諸君、「若いときの孤独は一生の財産だよ」と誰かが言いました。「孤独ほど怖いものはない、しかし、孤独を知っているからこそ人とのふれあいの大切さがわかるのです」とも誰かが言いました。
話があちこちにいきましたが、結局は今の賑やかな毎日が一番幸せなのかも知れません。ラジオに「ただいま」より、家族に「ただいま」ですよね。
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