其の二十五
学生諸君!いのちの50円
暑い夏が続いています。合宿やセミナー続きの毎日でしたが、猛暑の助けもあり予定の五キロ減量がほぼ達成できそうで、私にとっては良い夏になったと思います。この夏の空手関係者の話題は、どこにいっても「若者がいなくなった」ということです。確かに一般部の男子が少なくなったことはここ数年顕著な事実で、少年大会は盛況ですが、一般部の激減は深刻な状況になってきていると思います。かえって40歳以上の空手バカ一代世代は、「2度目の青春」といった感じで盛り上がってきているようです。まさに熱血オヤジと子どもだらけの極真空手といった雰囲気になっています。
若者の減少は、当初組織の分裂やK−1、プライド人気などに押されて極真空手の魅力が低下したと考えられましたが、どうやらそういうことではなく、単に若者のスポーツ離れ、武道離れに原因があることがわかってきました。極真空手に限らず、いわゆる伝統派空手も団体戦が組めないとか、柔道、剣道も閑古鳥が鳴いているようですし、人気があると思われるサッカー、野球も1部の愛好者のみでテレビで盛り上がっているほどやっている人は少ないようです。ではこの世に若者はいないのか?というと、遊び場や飲み屋には結構ウジャウジャいるのです。別に私は若い者は遊ぶのも仕事ですからどんどん遊んで良いと思いますし、私など稽古の合間を縫って腐るほど遊びました。「どうしちゃったの日本の若者?」と言う状況です。
私は「今時の若い者は」とは言わない主義です。どちらかと言えば「今時の年配は」ということも多いように感じるからです。この点はどうでもいいことですが、とにかく若者が汗を流して自分を鍛えなくなったのはどうしてか皆で考えてみましょう。このままでは日本が滅びてしまいます。いろいろ原因があるとは思いますが、一つには小学校、中学校時代の勝負偏重主義のクラブ活動(学校以外の社会体育も含めて)に問題があるかも知れません。「いわゆる燃え尽き少年」とでもいいましょうか。はじめたら何でも勝て勝て主義で押しまくり、勝ってなんぼの価値観しかない。勝つためにはどうするかの理論ばかりで、自分を磨く、鍛えることに喜びを感じない。だから勝てなくなったらやめてしまうのです。「勝てなくなってからが本当の修行である」と盧山館長には教わったものですが・・・。中学生に「高校に行ったら何をしたいですか?」と言う質問に対して「バイト」が第1位の回答となっています。中学時代部活で活躍した生徒もあっさりやめてしまうのです。また携帯とパソコンの普及が日本と日本の若者をダメにしているとも考えられます。昔は友達づきあいは家に帰るまで、家に帰ったら家庭のつきあいでした。電話など親に断って親の前でかけるのですから落ち着いたものではありません。だからよっぽどでなければ私用の電話などかけられませんでした。テレビも茶の間に一台ですから、見たかったら親と一緒で、チャンネル争いも一種のコミュニケーションでした。親もパソコンなどなかった時代には、明日のことは明日という仕事ぶりでしたので、今よりも家庭にいる時間が長かったと思います。パソコンの普及により仕事のテンポが速くなり、どの職場も忙しさが増していることと思います。そのくせ生活が豊かになったかというとそうではないのです。昔は、父親の稼ぎで家族四人が生活できました。決して贅沢はしませんが、一家の団らんの中で子どもが成長できたのです。サザエさんやまるちゃんの家庭が昭和の昔の良いところを残しているのでしょう。話はもどりますが、携帯を個々が持つようになったため、家に帰ってからも友達づきあいが続くのです。したがって、親(大人)との会話の場面が益々なくなり、同じ程度の人間の横のつながりでしか価値観が形成できなくなってしまっているのです。また、それぞれの部屋にテレビやパソコンがあるわけですから入ってくる情報も親の目を通さない、自分たちだけの情報となっていきます。個性尊重と言いながらやっていることや考え方は横並びで、毎日こまめに友達と連絡を取り合い互いに規制しあっている友達関係しかないのです。ある意味勝手なことができない、やればはじかれてしまうのですから下手な校則より厳しい関係ですね。悪いことばかりではないのでしょうが、化粧やファッションにばかり興味がいっている世の若い男達には「身体を鍛える」「強くなる」などダサイ(ウッ死語かな)ことなのでしょう。
さて、やはり若者の代表として、親の脛をかじっている学生諸君は、この先どうなるのでしょう。私の頃は、まわりの情報が「あしたのジョー」「巨人の星」「空手バカ一代」といった梶原一騎一色でしたので、小学生のくせに吉川英治の宮本武蔵を読んだりしましたし、大山倍達総裁の「男子三日あわざれば刮目してみよ」という言葉に触発されて、毎日拳立てと巻藁を続けたものです。「強い男」「鍛える」ということに誰もがあこがれを持っていました。女の子達も、軟弱な色男よりもいざとなったらケンカの強い男に人気が集まっていたような(ウッこれも勝手な思いこみかな)気がします。私の中学時代は、剣道に強くなることと空手を続けることに全力を注ぎました。高校進学も志望校決定の理由は道場に近いからです。ここまで極端なのはどうかと思いますが、私のようなものがゴロゴロいたのも確かです。でも空手ばかりやっていたわけではなく、将来は映画監督や絵描きになりたかったので、暇さえあればそちらの活動もやっていました。映画づくりはよくやりましたね。私の部屋は編集作業中のフィルムだらけで足の踏み場もなかったですから。制作費がなくて電車の中でカンパをお願いしたりもしました。映画づくりの仲間とは、空手とは別に長いつきあいで、いまでもたまに小さな作品はつくっています。
学生や若者達に言いたいことは、まず「金がないのが若者である」ということです。金がなければ遊べませんので、金は無いほうがよいのです。盧山館長は、寮ができる前は私に「バイトする暇があったら稽古をしろ」と厳しくバイトを禁止しました。とはいってもまだ指導料ももらえなかった頃は、本当に金がなく私は食べることもろくにできずに空きっ腹で過ごしていました。冬のジャンバーもありませんでした。冬でもトレーナーで過ごしていると「おまえは寒さに強いな」と言われたこともあります。いくらかの仕送りと米と味噌だけは田舎から送ってもらいましたが、アパート代と定期代を払うと1日300円分ほどしか残りませんでした。当時銭湯が190円でしたので、よくそれで生活していたものです。朝昼晩キャベツづくしというのもありました。キャベツのサラダ、キャベツ丼、キャベツの野菜炒めにキャベツのみそ汁といったメニューです。こたつが壊れていて冬に暖房がなかった年もありました。寒くていられないんですね。鍋でお湯を沸かして、それに手をかざして暖まったこともあります。300円オールナイトの映画館で寒さをしのいだこともあります。池袋駅前のロッテリアは夜の11時までやってましたので、コーヒー一杯で閉店までねばり、命をつなぎました。そのとき隣のテーブルにいたホームレスのおじさんが、他の客に迷惑になると言うことで店員に追い出されていた光景が忘れられません。もっとひどい時には、新宿駅の京王新線の改札前に座り込み、だれか知っている人が通るのをジッと待ったこともあります。広い東京でだれかに会うなど不可能なこととは思うのですが、その時は神様のお陰か高校の応援団の友達とばったり会うことができました。彼は私の境遇がわかっていましたので、何も言わずに食事をごちそうしてくれました。このような貧乏生活が続きましたが、稽古だけは変わりません。もしかしたら私が内弟子を逃げなかったのは、朝、館長宅でいただける一枚のパンがあったからかも知れません。
私には「いのちの50円」というものがあって、本当に追いつめられたときに親に連絡するための金でした。10円では用件の途中で電話が切れたら大変なので50円という額になったのです。どこまでこれを遣わずに耐えられるかという自分(貧乏)との闘いでした。最近のドラマで似たような話がありましたが、それよりもきつい生活だったと思います。結局この50円は遣わずにすみましたが、この金がない若者時代は私にとって宝だと思っています。先日の韓国セミナーの後、サインをたのみにきた若者達が、この後2年間軍隊に行かなければならないと言う話を聞きました。稽古中ひ弱に見えた彼らが急に逞しく、頼もしく見えたものです。それに比べて同じ世代の日本の若者は何をしているのでしょうか。現代の豊かな日本は、戦後の貧しい時代に育った人々が一生懸命に働いて築いたものです。美空ひばりの「東京キッド」のような「右のポッケにゃ夢がある」少年時代だったのでしょう。いったい今の若者はどんな日本を築こうとしているのでしょうか。
学生諸君!君たちに「いのちの50円」はありますか?
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