其の十六
器の話
「器(うつわ)の話」を書きましょう。これは10年以上昔の話ですが、盧山道場の夏合宿でのことでした。当時は館山かいわきのどちらかだったと思います。海岸での稽古の時、恒例の騎馬戦が行われました。100人以上の一般部の男達が二手にわかれ、一斉に闘うのですから結構迫力があってなかなか見物です。隊長、副隊長がそれぞれの大将騎に乗るわけですが、その時隊長が故三浦師範で、私は副隊長でした。私は仕事がら集団行動の支持は慣れているので、一旦集めて作戦を伝え、各馬に役割を与えて、全員で正拳突きを行い、心を1つにさせました。相手は馬をつくるのに時間がかかり、これといって打合せもなく気勢を上げて盛り上がっていました。館長の合図で騎馬戦が始まりました。こちらは作戦通り先鋒隊が突撃すると相手はそれに群がって団子状態です。そこを左翼が攻撃することで相手の大将騎が海に逃げ込みます。そこを右翼に待機していた別働隊が攻撃し、相手の大将を海に沈めました。二戦目は、作戦を変えて、先鋒隊の後ろに突撃隊を続けさせて一気に大将騎を攻める方法でした。おとりの左翼と右翼を出していたので、相手はそちらにも戦力を裂くことになり、中央ががら空きになりました。そこを突撃隊がつっこみ、速攻で勝負を決めました。私達は勝ちどきを上げ大きく盛り上がりました。所詮遊びといえば遊びですが、こういうことにも全力を尽くすのが盧山道場のモットーでした。このときの騎馬戦は、三浦師範の悔しい顔と合わせて今でも鮮明に覚えています。
この騎馬戦の後、館長より「器の話」をいただくことができました。「大将の器」「中将の器」「少将の器」という話でした。「大将の器」とは、文字通り大軍の将たる器を指します。多くの人の心を惹きつけるカリスマ性があり、的確な指示を与えて集団に目的と機能性を持たせることのできる人間力のことです。人が多く集まれば、考えや価値観も違ってきます。すべてが好意を持てる人間ばかりでもありません。中には反旗を翻すおそれのある者もいるでしょう。清濁併せのむ器量も必要となってきます。盧山館長がその典型であるといえばわかりやすいでしょう。「中将の器」とは、大将の命を受け、的確に小部隊に指示を出し、目的を達成するために一糸乱れぬ動きを可能にする能力を指します。全体の中の自分の位置を把握し、常にバランス感覚を持ち、自分の采配のタイミングを心得ていることが必要です。「少将の器」とは、少人数を束ね、全体の中での自分の役割意識を明確に持ち、自分の与えられた役割を達成するために的確に行動できる能力を指すのです。一人一人に気を配り、細かい信頼関係を築きあげる器量が必要です。おおよそこんな話をしていただいたと思います。「少ない人数を任せることはできても、大人数を任せられる人間は少ないんだよなあ。これは経験でどうなるものではなく、「将器」というのはもって生まれたものなんだなあ。」と仰っていました。三浦師範の名誉のために言いますが、単に騎馬戦の勝ち負けだけで盧山館長が三浦師範の器がどうのといった話をしたわけではありません。「采配」と「器量」ということについて話をするきっかけになっただけです。「おまえ達、器量を磨けよ」ということだったのでしょう。
ところが三浦師範はそうはとらなかったのです。「どうせ俺は器が小さいんだ」と時々思い出したようにその話をしていました。よっぽど気にしていたのでしょうか。ただ三浦師範のすばらしいところは、「器の話」を自分を卑下する材料にせず。「ならば自分の器の中で最善を尽くそう」という前向きな考え方になれたところでした。当時、三浦師範は巨大な盧山道場の一角を暖簾分けしていただき、埼京支部を設立しました。小さな道場でしたが、整理整頓が行き届き、砂袋の位置も自分の体格に合わせて置く場所もしっかりと決めていました。生徒に対しても一人一人を大切にし、小さくともまとまりのよい支部をつくっていたと思います。いつも丼勘定で、どこに何人生徒がいるか考えたこともない自分とは対照的な道場でした。やがて少しずつ強い生徒も現れ、埼玉地区で団体戦の優勝をしたときには本当に喜んでいました。いつも自分の道場を最優先に大切にしていました。ようやく軌道に乗り、道場を拡大しようと動き出した矢先に、三浦師範は事故で他界してしまいました。多くの人が彼の死を悲しみました。自分はちょうど福島で合宿をしていたときで、午前の稽古が始まろうとしているときに連絡をもらったのです。自分は合宿を中断し、いそいで駆けつけました。葬儀の時に、彼の鍛えに鍛えた左の正拳を握りしめて大泣きしたのが忘れられません。
結局、何を書こうとしているのかというと「器」というものは、本人の努力や経験で変わっていくものだとも思いますが、基本的に持って生まれた大きさを自覚することが大切だと言うことです。自分の「器」をよく理解し、最善を尽くすことが大切だと言うことを盧山館長は教えたかったのでしょう。人を動かすことが得意な者もいれば、細々とした役割を果たすのに向いている者もいます。見栄を張らず、背伸びをせず、自分の持てる力を最大限に発揮する方法を理解し、実行することこそ「武士道」なのだと思います。かくいう自分もたいした器量があるわけでもなく、自分にできることを精一杯やることしか思いつきません。盧山館長にとっても、けして自分は一番の弟子ではありません。自分よりも能力がある弟子、かわいがられた弟子はたくさんいます。それはそれで気にするつもりはなく、盧山館長にとって自分が何番目の弟子であるかということはどうでもよく、自分にとって盧山館長が一番の師匠であればよい訳なのですから。ただ、自分は自分の器量というものがよくわかっていないので、まだまだ修行が必要かなと思っています。最近は人の上に立つような役目が多いのですが、それはそれで与えられた使命は果たそうとは思いますし、内弟子のようにちょこまかと動き回って下働きをするのも結構好きです。三浦師範のように自分をこうだと決められないのが自分の良いところであり悪いところなのかもしれません。ただ、自分の都合のいい形に逃げ込まずに、何事も経験という気持ちで頑張ろうと思っています。
最近、井上靖さんの「蒼き狼」を読んだので、いろいろな登場人物の器量から盧山館長の「器の話」を思い出したのかもしれません。
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