其の十一
ものは考えよう
「ものは考えよう」これも私がよく使う言葉です。何事も見方を変えると怒りや不満が別のものになったりするものです。
極真空手で型や武器術の講習会や合宿というものを開催するようになってから7〜8年が経ったかと思います。私は、参加する人たちに対して「学ぶということに国境はない。学ぶためには地球の裏側までも行くものだ。」とよく言っていました。これは盧山館長のまったくの受け売りなのですが、その通りだと思っています。お陰様で、福島の講習会や合宿には遠方から高い交通費をかけて重い荷物を背負ってたくさんの人がやってきます。本当に頭の下がる思いです。こちらもその人達の熱意に応えるように頑張って指導しようという気になるものです。
しかし、たまに講習会で「参加費が高い」「会場が遠い」といった文句を言いながら参加する人がいます。合宿などでも「参加費が高い」「金を払っているのに何で怒られたり子どもの面倒を見なけりゃならないんだ」と文句をいいながら参加している人がいます。さてさて困ったものです。私は「金を払って怒られるのが合宿だ」と教わったものです。「子どもの面倒を自分たちが見るから、先生は自分たちを指導してくれるのだ」と思って少年部の指導を一生懸命に行いました。二十歳になる前のことですが、盧山道場が発足して間もない頃、少年部や初心者が増えてきて、館長はその指導に追われ、私達内弟子の指導まで手が回らなくなってきたことがありました。私は、当時の師範代と一緒に北園団地の近くの炉端焼きの店に館長をお呼びし、そこで土下座をして「一般の入門者は我々が一切の指導を行うので、盧山師範は我々だけを指導して欲しい」とお願いしたのです。我々は本気でした。それから私達は指導員として一般の指導を担当し、館長は遠慮なく我々をシゴクようになったのです。実はそれがあまりにも厳しくて格好のいいことを言ってしまった自分を少し後悔しましたが・・・
さて、ものを習うには金がかかるものです。旅費や参加費など決して安くありません。しかし、ちょっとお金を集めるとすぐに「金儲け」と批判する人が多いのは、困ったものです。内容の伴わない講習や合宿はそう言われても仕方がありませんが、実際「先生」という人を呼ぶことは大変です。プロで生活している方ならなおさらです。20年近く前に、台湾から高名な中国拳法の先生を招いての講習会3日間で5万円というものがありました。しかも定員8名です。当時は何と高額な講習と思いましたが、よくよく考えてみると、台湾からその先生を日本に招くのにいったいいくらかかるか。旅費と滞在費と謝礼など考えたら50万は軽くかかると思います。そしたら一人5万円では赤字でしょう。8名限定ですから、稽古はほとんどマンツーマンに近い状態です。「慈善事業のような講習会ではないか」ということで私は即申し込みました。もちろんその講習会は目から鱗の内容で、同じ講習会が二度開かれましたが、私は二度とも参加しました。もし自分が一人で台湾に行ったとしたら5万円では片道切符にもならないでしょう。5万円が高いか安いか、ものは考えようなのです。(家族は大変でしたが・・・) 私の学んだ古武道もそうです。福島県から山口県まで行くわけですから交通費は大変なものです。しかも年に3度は欠かさず行っています。高い交通費をかけていくのですから稽古は一分たりとも無駄にできません。そのための準備の稽古もしっかり行っていかないと前に述べたように「ゲタも履かせられん」と一括されてしまいます。合宿等の参加者が、自分の実費だけで高名な先生方にかかる経費がまったく人ごとのようにしか考えられない場合がありますが、参加者みんなで分担して諸先生方の経費をまかなっていることを考えれば費用の額の成り立ちは理解できるはずです。まして3〜4人もの先生を招く合宿となったら・・・一人あたりの費用は高くて当然です。もし自分が一人一人訪ねていって教えを請うとしたらどれだけかかるかわかりません。30年くらい前の古武道の世界では、宗家クラスの先生を呼んで指導を受ける場合、温泉に3〜4日泊めてすべて諸経費は負担した上に参加者一人が3万円(当時のお金で)もの授業料を払ったということです。それだけ習った技術には絶対の権威があったのでしょう。膨大な時間と命を懸けて身につけた技術を習うのですから、高いの安いのと言っていられないと思います。プロでやっている先生は、それで生活しているのです。よけいな仕事をしていないのですばらしい技術を磨くこともできるのです。高いお金を払うことは、その先生の生活を支え、武術に専念できるよう支援する意味もあるのです。「別に仕事をしているのでお金はいらないよ」という先生は仕事が忙しくて稽古が中途半端で、タダで教えてくれるかもしれないが、内容もその程度だったりもします。まあ私も仕事をしており報酬は受け取らずに指導していますが、内容がその程度といわれないように必死に稽古しています。他にも仕事をしながらプロ以上の技術を持つ先生もいますが、ごく少数だと思います。
お金の話ばかりになってしまいましたが、安くいいものを習おうという考えがそもそも勘違いだと言うことです。重い荷物を持って、時刻表を片手に飛行機に乗り、電車に乗り、長い時間をかけて目的地に行くことが実は一番の修行であり、高額な交通費はその授業料なのです。免状代もそうです。巻物などは30万、50万があたりまえです。これが高いか安いかも考え方次第です。すべて値打ちは自分で決めるものです。金さえ払えば免状や巻物をもらえるわけではありません。苦労して稽古してやっともらえるときに大金を払う。このことを「損をする」と考えるかどうか。ものは考えようなのです。
《戻る
|