其の十五
追悼 植木等
「ちょいと一杯のつもりで飲んで〜」から始まるこの歌は極真空手の宴会では定番の名曲です。故親友三浦由太郎師範の十八番で、飲めば必ず手拍子でこの歌が飛び出たものです。三浦師範は「わかっちゃいるけどやめられねぇ」のフレーズが大好きでした。植木等さんが亡くなったと知ったとき、私は愕然としました。かつてジョンレノンが亡くなったとき、私は夜の三時にそのことをラジオで知り、思わずジョンのテープを持って家を飛び出したものです。
植木等さんといえばクレージーキャッツのメンバーで、昭和の高度成長期のテレビで大人気の人物でした。コミックバンドといってしまうには惜しいほどの高レベルの演奏と歌唱力を持ち、個性的なメンバーと新進気鋭の青島幸夫さんがタイアップして、「シャボン玉ホリデー」などの怪物番組を次々とつくりあげました。当時私は小学生でしたが、この番組が大好きで、毎週欠かさずに見ていたものです。大人になってからも彼らの歌と映画が大好きでした。植木等さんは、人気タレントとかたづけてしまうには惜しいほどの時代の象徴であったと思います。サラリーマン全盛時代と言っても過言ではない当時、「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ!」と歌ってしまいました。残業やノルマに追われる実際のサラリーマンからは苦情もあったということですが、現実の大変な仕事を逆に「気楽な稼業」と言い切ってしまうところに当時の日本の元気な姿があったのではないかと思います。植木等さんの歌は、ふざけたような世の中を風刺した歌詞が多いかもしれませんが、現代の私達にとっても元気の出てくる歌ばかりです。他人の揚げ足ばかりとって、不満や愚痴ばかりのサラリーマンが多くなってしまった今の時代、あの歌に出てくるような陽気なサラリーマン、元気に働く大人が復活して欲しいものです。
昭和の成長期は、働く大人が元気な時代でした。スポーツは野球、野球は巨人、巨人といえば王と長島、大晦日は家族みんなで紅白歌合戦!昭和という国は何とわかりやすい国だったのでしょう。私はそんな時代に少年時代をおくることができて本当に幸せだと思っています。別に私は懐古主義なわけではなく、時代をつくるエネルギーの源をもう一度見直してはどうだろうかという気持ちでこの文を書いています。武道についても同じです。たくさん汗をかいて、痛い身体を引きずって、稽古の後の酒がうまい、明日も仕事を頑張ろう!そんな元気な大人が増えて欲しいです。子どもばっかりが汗を流しているのが現代の武道界です。もっと大人が汗をかこうじゃないか。大人が鍛える姿を子どもにもっと見せようよ。大人が歯を食いしばって頑張る顔をもっと見せようよ。理屈じゃないよ。
前にクレージーキャッツのリーダーのハナ肇さんが亡くなったとき、葬儀で流れた曲がジャズの「スターダスト」でした。かっこよかったなあ。植木等さんのときはどんな曲が流れるのだろうか。ご冥福をお祈りします。
 銭のないやつぁ 俺んとこへ来い 俺もないけど心配するな
   見ろよ青い空ぁ 白い雲ぉ そ〜のうちなんとかな〜るだろおお〜!

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其の十四
学ぶことは教えること、教えることは学ぶこと
先月3日間の指導者合宿がありました。今回は、国内海外から120名の黒帯の指導者が参加しました。稽古の様子は、ちょっと大げさかもしれませんが、さながら戦国絵巻のようでした。盧山館長、広重副館長、孫立先生の熱のこもった指導に、参加者全員が感激していたようです。皆さんお疲れ様でした。 さて、このような講習会を指導していつも思うことなのですが、如何に自分がよくわかっていないかに気づかされます。自分が習う側にいるときには、教えられるままに必死に稽古するだけなので、先生から指摘されない限り自分でわかったつもりになっていることが多いのです。結局「自分なりの」技が使えればよいのですから、無責任な努力なのですね。ところが人を教えるとなるとそんな勝手なことではいけません。いろいろなことを質問されたりしますが、自分では考えもしなかったことを問われると答えに詰まってしまうこともあります。「自分と同じようにやりなさい」という指導を昔の人はよくやりましたが、最近の私はこのことばをよく使うようになってきました。ごまかしているわけではありませんが、ことばで教えることは本当に難しいことだと思います。ことばは一人歩きするものです。その場の説明で迂闊なことを言うと「岡崎師範がこう言った」ということで断定されたものとして伝わってしまうのです。「〜のように」「〜のつもりで」と言ったつもりが、「〜である」「〜でなければならない」となってしまうのです。「理解」とは目に見えないものですから、わかったような顔をして頷いていても内面はわからないものです。特に感覚として理解するものについては、はっきり言って私の段階では指導法はありません。「水に浮かんだ板を押さえるように」「大木をかかえるように」「濡れた手ぬぐいを巻き付けるように」などのことばを駆使して昔の先生は教えました。私はそのことば通り教えるだけで、あとは真似をしなさい、自分で理解しなさいとしか言えません。比較的外見は教えやすいのですが、骨や筋肉、神経、心についての部分は何とも難しいです。最近「運動線」と言うことばも使ったりしますが、目に見えない矢印が同じように理解できるのはもう当人のセンスとしか言いようがありません。ちょっと投げやりになった文章ですが、要は自分が稽古するよりも、教えることの方が難しいということを言いたいのです。 「学ぶことは教えること、教えることは学ぶこと」と言うことばは、中村先生のことばだそうですが、よく盧山館長が遣われることばでもあります。自分が学ぶと言うことと教えると言うことは表裏一体、車の両輪という意味ですが、最近特になるほどなあと思います。うまく教えることができないということは自分の理解が不確かなものなのだと思うようになってきました。ただ「真似をしなさい」と言う指導も大切です。しかし、自分が真似をされるだけの動きができているだろうかと考えると責任重大です。私の学んでいる古武道の世界では、宗家が指導するときには「誰に習った!」と怒られるのです。ですから指導する人間は自分が評価されるみたいでビクビクものなのです。自分が注意されるほうが、どんなにか気が楽でしょう。ことばや直接手にとって教える場合も同様に難しいです。先ほど述べたようにことばは一人歩きする危険がありますので、下手にたとえ話をしたり、ついつい発展的なものをちらつかせると大変な誤解を招いたりします。昔は、個別指導が主だったので、先生も生徒の理解度によってことばや形を変えて教えました。最終的なところまで行けば皆同じになるはずなのですが、習う側がそのような解釈に至らない場合が多いために、空手の形などでも、同じ先生が教えたにもかかわらずたくさんの違いが出てきているのです。個人で完成すればあとは自由であると言う時代はよいのですが、組織があり、競技かある現代では、統一したものも必要となってきます。もしかしたら今の指導者の方が難しいかもしれません。 今の私の立場は、自由にやりたい稽古をしていた時代とは違いますので、「教える」という行為を通して多くのことを学ばせていただいています。もしかしたら、合宿や講習会で1番稽古になっているのは私かもしれませんね。 山本五十六の有名なことばに「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ」ということばがあります。この「やって見せ」が武道の指導では最も大切です。最近、合宿や講習会がこまめにありますので、自分の稽古を休む暇がありません。 有り難いやら辛いやら。
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其の十三
祝!復刻「虹をよぶ拳」
最近なつかしの漫画がいろいろと復刻されていますが、先日たまたま東京の書店に行ったときのことです。最近めっきり漫画は読まなくなっていましたが、たまたま復刻漫画の書棚の前を通りかかったときに、私の視界をかすめたものがありました。それが「虹をよぶ拳」でした。私は迷わず全巻買ってしまいましたが、そもそも私が空手を始めたきっかけが実はこの漫画だったのです。
「虹をよぶ拳」は、1969年から冒険王という雑誌に連載された空手漫画です。後の「空手バカ一代」の梶原一騎が原作者でした。物語のはじまりは、まず郊外の団地に引っ越した運動オンチの春日牧彦という少年が、地元の子ども達にいじめられるのです。勉強はできるのですが、田舎の子どもにはそんなことより運動神経が抜群の方がよく、級友の赤垣竜平に人気が集まります。主人公は悔しいやら羨ましいやらですが、気持ちだけで根性もない。同じような父親に対しての不満も重なり、嫌気がさしていたところに、ある事件が起こり、赤垣が春日一家を救うことになるのです。実は赤垣は空手の黒帯で、中学生ながらナイフを持った2人組の強盗を一撃で倒してしまうのですが、当時小学生だった私には衝撃的でした。私も新興住宅に引っ越し、地元の子ども達にいじめられたりしていましたし、同級生に運動神経抜群の人気者もいたりしたのでちょっと主人公と重なる部分もあったからだと思います。結局漫画ですので、年齢や時間の設定には無理が多いのですが、それを差し引いても当時の私には共感するものが多く、この漫画を磨り減るほど読んだものです。この主人公は親の反対を押し切り空手の道にはいるのですが、何といっても先生の鬼門兵介がすごいんです。私は、主人公よりも将来は鬼門先生のような田舎の貧乏道場の達人になりたいと思ってしまいました。とにかく、大人も子どももぜひこの漫画を読んでください。私も買ってから一気に読んでしまいました。
私は、初めてこの漫画を読んでからずっと今まで好きな場面があります。久しぶりに読んで「お〜これだよ〜」と思いました。主人公が初めての合宿に参加したときに家庭の問題で途中から帰ることになったのですが、その時に友人の赤垣が「要は負けんこった!」と横蹴りをして一言励ます場面です。この「要は負けんこった!」この一言が私の大好きな言葉です。当時梶原一騎の漫画に影響された少年はたくさんいたと思います。「巨人の星」「あしたのジョー」「柔道一直線」そして「空手バカ一代」とただ面白いだけでなく、男の生き方というか、美学というか、そんなものをたくさん学べる作品でした。私は実にはまりやすいタイプの少年だったので、その後どっぷりと空手の世界に入っていったのです。私は高校の時に渋谷警察署裏の梶原先生の事務所にも訪ねていったことがあり直接話もしました。私が30年以上も空手を続けている理由は、盧山館長という偉大な師の存在ではありますが、きっかけとなった「虹をよぶ拳」によってつくられた空手像があるからだとも思います。鬼門先生がキックボクサーを正拳逆突き一発で倒す場面など、我々が現在目指す戦い方そのものです。たかが漫画、されど漫画です。久しぶりに少年の心にもどった気がしました。
しかし現代の少年達、漫画ばっかり読んでいてもだめだよ。感激したことは行動に表すこと。すごいと思ったことは自分も実行してみること。「要は負けんこった!」

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其の十二
壊れた時計の話
これも盧山館長から聞かされた話です。沢井先生の言葉としてお話しいただいたものですが、「壊れた時計というものは、針が動かなくなっている。しかし、その針は、一日に二回は正しい時間を指すものだ。」というものです。太気拳の修行というものは、じっと腰を低くして立ち続ける「立禅」が中心です。毎日20分、30分ととにかく立ち続けるのです。他にもたくさんの稽古はあるのですが、まずはこの「立つ」ことをしっかりやらされます。身体にもかなりきついものですが、辛抱する心のきつさはもっと大変です。他の道場ではサンドバッグをやったり、スパーリングをやったりして目に見えて強くなるのがわかる稽古ばかりです。私達は「こんな稽古をしていて本当に強くなれるのだろうか」「他の稽古の方が正しいのではないか」と不安や不信感に襲われるのです。そんな時に盧山館長が「壊れた時計」の話をされたのです。いつか必ず役に立つ。いつかこれが正しいことが証明される。いつか必ず皆に必要とされる。そんなことを信じて私達は稽古を続けました。おそらく盧山館長もそうだったのかもしれません。沢井先生もそうだったのかもしれません。王向齋という絶対的な達人の存在がその稽古を信じさせたのでしょう。
人間の一生は限られた時間しかありません。若い時間はなおさらです。そうなると先の見えない稽古は不安なものです。早く結果を出したいのが自然な考え方でしょう。しかし私達は館長の「壊れた時計」の話を信じ、立禅や這、型や武器の稽古など目先の大会には役に立たないような稽古に全力を注いだものでした。顔面を叩く、裏技なども当時は大会で勝つためには必要のない行為以外の何ものでもありませんでした。 10年ほど前に「型」についての関心が高まり、私が人前に出るようになりました。まだまだ多くの方は「極真空手は型などいらない」といった考え方に流され、型など無駄なことということで型はもちろん基本稽古までやらない道場が当たり前でした。当時は大会で勝つことが最優先でしたので、型など本当に無駄以外の何ものでもなかったのでしょう。私はたまたま盧山館長の教えを貫くことだけが生き甲斐でしたので、まわりの流行はどうでもよく、田舎で「壊れた時計」に徹するようにしていただけでした。やがて型競技がはじまり、型を熱心に稽古する方が増えてきました。福島まで泊まりがけで稽古に来る方も増えてきて、私も長年こつこつやったことが少し役に立つことがうれしくなったものです。そのうち、棒術など武器についての関心も高まり、講習会も大勢の方が参加するようになりました。そろそろ外見だけの型から闘う技術としての型の段階まで進んできた方も出てきました。一緒に稽古をしていて楽しみです。ところが何事にも流行り廃りがあるもので、光があれば闇もあり、登りがあれば下りもあるのです。人々の関心は無責任なもので、型に関しての意識もここ10年で何度か山や谷がありました。型に関心が集まりはじめると俄型師範が次々と「型うんちく」を語りはじめ、とんでもない方向に行ってしまいそうになるのです。武器にしても同じで、関心が高まることはうれしいのですが、勝手な解釈でろくに経験もない大師範が登場してきます。何にしても事を成就するということは難しいものです。マスコミもいろいろな格闘技を取り上げますが、人気を集めるために派手にイベント化していくようになります。多くの若者があっちに集まり、こっちに集まりといった状態です。腰を据えて道を究めるという雰囲気ではありません。けれども結局は「好み」の問題ですので、どんな戦い方もどんな型もやる人の好き好きでよいと思います。「何でもあり」という時代ですからしょうがないかもしれませんが、「不易」なものもあると私は信じています。それこそが空手が武術としての絶対的な土台ですし、流行り廃りとは無縁のものなのです。ちょっと偉そうなことを書いてしまいましたが、今まで学んだことを大切に磨いていくことが私の「好み」というだけなのです。
ここ最近、型も武器も組手も稽古が進んで面白くなってきました。ただ世の中の流れとはちょっとずれてきているかもしれません。また、しばし「壊れた時計」に戻ろうかと思っています。

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其の十一
ものは考えよう
「ものは考えよう」これも私がよく使う言葉です。何事も見方を変えると怒りや不満が別のものになったりするものです。
極真空手で型や武器術の講習会や合宿というものを開催するようになってから7〜8年が経ったかと思います。私は、参加する人たちに対して「学ぶということに国境はない。学ぶためには地球の裏側までも行くものだ。」とよく言っていました。これは盧山館長のまったくの受け売りなのですが、その通りだと思っています。お陰様で、福島の講習会や合宿には遠方から高い交通費をかけて重い荷物を背負ってたくさんの人がやってきます。本当に頭の下がる思いです。こちらもその人達の熱意に応えるように頑張って指導しようという気になるものです。
しかし、たまに講習会で「参加費が高い」「会場が遠い」といった文句を言いながら参加する人がいます。合宿などでも「参加費が高い」「金を払っているのに何で怒られたり子どもの面倒を見なけりゃならないんだ」と文句をいいながら参加している人がいます。さてさて困ったものです。私は「金を払って怒られるのが合宿だ」と教わったものです。「子どもの面倒を自分たちが見るから、先生は自分たちを指導してくれるのだ」と思って少年部の指導を一生懸命に行いました。二十歳になる前のことですが、盧山道場が発足して間もない頃、少年部や初心者が増えてきて、館長はその指導に追われ、私達内弟子の指導まで手が回らなくなってきたことがありました。私は、当時の師範代と一緒に北園団地の近くの炉端焼きの店に館長をお呼びし、そこで土下座をして「一般の入門者は我々が一切の指導を行うので、盧山師範は我々だけを指導して欲しい」とお願いしたのです。我々は本気でした。それから私達は指導員として一般の指導を担当し、館長は遠慮なく我々をシゴクようになったのです。実はそれがあまりにも厳しくて格好のいいことを言ってしまった自分を少し後悔しましたが・・・
さて、ものを習うには金がかかるものです。旅費や参加費など決して安くありません。しかし、ちょっとお金を集めるとすぐに「金儲け」と批判する人が多いのは、困ったものです。内容の伴わない講習や合宿はそう言われても仕方がありませんが、実際「先生」という人を呼ぶことは大変です。プロで生活している方ならなおさらです。20年近く前に、台湾から高名な中国拳法の先生を招いての講習会3日間で5万円というものがありました。しかも定員8名です。当時は何と高額な講習と思いましたが、よくよく考えてみると、台湾からその先生を日本に招くのにいったいいくらかかるか。旅費と滞在費と謝礼など考えたら50万は軽くかかると思います。そしたら一人5万円では赤字でしょう。8名限定ですから、稽古はほとんどマンツーマンに近い状態です。「慈善事業のような講習会ではないか」ということで私は即申し込みました。もちろんその講習会は目から鱗の内容で、同じ講習会が二度開かれましたが、私は二度とも参加しました。もし自分が一人で台湾に行ったとしたら5万円では片道切符にもならないでしょう。5万円が高いか安いか、ものは考えようなのです。(家族は大変でしたが・・・) 私の学んだ古武道もそうです。福島県から山口県まで行くわけですから交通費は大変なものです。しかも年に3度は欠かさず行っています。高い交通費をかけていくのですから稽古は一分たりとも無駄にできません。そのための準備の稽古もしっかり行っていかないと前に述べたように「ゲタも履かせられん」と一括されてしまいます。合宿等の参加者が、自分の実費だけで高名な先生方にかかる経費がまったく人ごとのようにしか考えられない場合がありますが、参加者みんなで分担して諸先生方の経費をまかなっていることを考えれば費用の額の成り立ちは理解できるはずです。まして3〜4人もの先生を招く合宿となったら・・・一人あたりの費用は高くて当然です。もし自分が一人一人訪ねていって教えを請うとしたらどれだけかかるかわかりません。30年くらい前の古武道の世界では、宗家クラスの先生を呼んで指導を受ける場合、温泉に3〜4日泊めてすべて諸経費は負担した上に参加者一人が3万円(当時のお金で)もの授業料を払ったということです。それだけ習った技術には絶対の権威があったのでしょう。膨大な時間と命を懸けて身につけた技術を習うのですから、高いの安いのと言っていられないと思います。プロでやっている先生は、それで生活しているのです。よけいな仕事をしていないのですばらしい技術を磨くこともできるのです。高いお金を払うことは、その先生の生活を支え、武術に専念できるよう支援する意味もあるのです。「別に仕事をしているのでお金はいらないよ」という先生は仕事が忙しくて稽古が中途半端で、タダで教えてくれるかもしれないが、内容もその程度だったりもします。まあ私も仕事をしており報酬は受け取らずに指導していますが、内容がその程度といわれないように必死に稽古しています。他にも仕事をしながらプロ以上の技術を持つ先生もいますが、ごく少数だと思います。
お金の話ばかりになってしまいましたが、安くいいものを習おうという考えがそもそも勘違いだと言うことです。重い荷物を持って、時刻表を片手に飛行機に乗り、電車に乗り、長い時間をかけて目的地に行くことが実は一番の修行であり、高額な交通費はその授業料なのです。免状代もそうです。巻物などは30万、50万があたりまえです。これが高いか安いかも考え方次第です。すべて値打ちは自分で決めるものです。金さえ払えば免状や巻物をもらえるわけではありません。苦労して稽古してやっともらえるときに大金を払う。このことを「損をする」と考えるかどうか。ものは考えようなのです。

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