其の五
心の基礎体力という事
平成19年の年が明けました。年の初めはいろいろと考えるものです。「今年は頑張ろう」とは言うものの、さて何を頑張るのでしょうか。
毎年、年の暮れには何人かの黒帯達と自宅の道場の掃除をしていましたが、昨年は私の都合が悪くて、私と子ども達だけでやりました。鏡を磨いて、砂袋を修理して、掃除機をかけ、床を雑巾がけして・・・結構丸1日かかるものです。最後に神棚をきれいにして榊を替えて終了です。大晦日には恒例の深夜の一人稽古です。除夜の鐘とともに居合の形を一通り抜いて、砂袋を千本叩くだけなのですが、毎年やっているとそれなりに自分のけじめとなっています。
さて、年が明けて「何を頑張ろうか」と考えると、今年はあまりパッとしたことが思い浮かびません。やることはたくさんあるのですが、今ひとつ「これでいこう!」というものが出てこないのです。元日の昼には、これまた恒例の試し切りです。巻いた畳表を斬るのですが、これもスッキリといかない。斬るには斬れるのですが、今ひとつ納得できない切れ味でした。おまけに初詣のお神籤は「末吉」です。なんともはや。
毎年初詣に行くこの神社は、昨年無外流の切紙伝授式をやった石川町の石都々古和気神社といいますが、ここは私が子どもの頃からの遊び場であり、空手を始めてからは私の稽古場でもありました。この神社は戦国の山城跡にできた神社で、山頂の木の生い茂る中にひっそりとある神社でした。たった一人で型をやり、立木を叩いていた時代が懐かしく、鉄下駄で境内を荒らし、神主さんに怒られたこともあります。いつしか稽古の前後は境内をきれいに掃き掃除するようになり、神主さんとも懇意になりました。高校を卒業し埼玉に行ってからも、石川に帰ってくるとこの神社の境内で立禅をやっていましたし、杖道を始めてからはここの立木相手に打ち込みをしたものです。わたしは年々歳をとっていきますが、この神社の大木は、いつも稽古をしている私に時の流れを忘れさせてしまうものでした。ところが、ここのところ神社周辺の環境整備によって、これらの大木が次々と切り倒され、神社周辺は明るく見晴らしが良くなってしまいました。それはそれで神社にとっては良いことなのかもしれませんが、私が30年前に叩いていた木が根本から切り倒されていたのには何とも言えない気持ちにさせられました。
思うところがあって、私は、年が明けてからの朝の稽古を道場から山歩きに変えてみました。一昨年世界大会の選手と合宿で走った石川町のクリスタルパークの坂道を朝日が昇る頃に歩くのですが、朝の冷たい空気の中を黙々と歩くことは大変気持ちがよいです。立禅をするとか、砂袋を叩くとか、型を打つとか、木剣を振るとか、そんな技術的なことはどうでもよく、ただ汗をかきながら黙々と歩くことで一つ一つ自分の心が整理されていく気がしました。今朝は娘を引っ張り出して一緒に歩きました。私の朝練は小学校6年生から始まっています。毎日1、5キロ走ることでした。朝の運動の効果をいろいろと言う方がいますが、「まずやってみなさい」ということです。私は30年朝練をやっていますが、朝ほど心も体も自分に正直な時間は無いと思います。かの勝海舟もどんな激務の時でも毎朝剣術の稽古を怠らなかったそうです。中村日出夫先生は高齢になっても木刀の素振りを欠かさず、毎朝三里走られたそうです。朝の稽古というものは不思議と基礎訓練が多くなります。毎日欠かさずできるものなので、実は最も大切な稽古をここに持ってくるのでしょう。大東流の佐川幸義先生も基礎体力づくりの鍛錬を晩年まで毎朝欠かさなかったそうです。さらにその稽古はだれにも見せなかったとも言われています。高齢になってもすばらしい威力や技術を持つ武術家は、共通して尋常ではない体力を持っているものです。それは、先天的に持っている方もいるかもしれませんが、多くは後天的に本人の努力によって身につけたものなのです。今年の年賀状の中に、歳を感じるようになったとか、現役を引退しますといった寂しいあいさつがちらほらと見られましたが、昨年11月に盧山館長の手刀バット折り(斬り?)を見てしまった私には、そんなあいさつはとんでもない話でした。「体力の衰え」は「心の衰え」がまず先に来るのかもしれません。武道を続ける者にとって最も大切なことは、「基礎体力」を養う前に「心の基礎体力」を養うことだと思います。
朝の山道を歩いていると、こんな事をいろいろ考えることができました。盧山館長は、55歳が武道家のピークであると仰いました。それまであと10年となりました。一日一日が自分との闘いです。日々研鑽とはよく言ったもので、迷わず稽古に励むことが、私の今年の目標と言うことになりましょうか。

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其の四
武士道と云うは死ぬ事と見つけたり
少し前になりますが、ふとしたことで「フラガール」という映画を観ました。常磐炭坑が閉山に向かう中で、常磐ハワイアンセンターが誕生するまでのフラダンスのダンサーたちの物語です。時代的には私の少年時代と重なっていますし、常磐炭田は私の生まれた石川町の近くですから、まったくよその話というわけではありません。撮影で使われたレッスン場は、以前私が勤めていた古殿中学校の旧寄宿舎の食堂(元宮本中学校校舎)でしたので、なおのこと身近に感じる映画でした。全編面白く感動する映画でしたが、一番心に残った場面は、主人公の蒼井優さんが、東京からきた踊りの先生の松雪泰子さんの踊る姿をこっそり見てしまったところでした。その瞬間にその主人公は決断し、ダンサーを目指すのですが、我々の世界にも大いに通ずるものがあるかと思います。
「武士道と云うは死ぬ事と見つけたり」とは、江戸時代の鍋島藩で著された「葉隠」の有名な一節です。この解釈にはいろいろあって、軍国主義のように曲解されては困りますが、武士道と云う観点でとらえると、「死ぬべき時に死ぬ」ということであり、死ぬべき時を間違えないために日々忠義を尽くし、自己を鍛え、節度ある生活を送るということなのです。ですからこれは前回も述べた内容と重なりますが、「命の懸けどころ」を見つけるために精一杯生き、その時が来たら全身全霊を傾けて働くという意味なのだと思います。したがってこの「死ぬ」ということばは究極の「生きる」姿なのだと思います。決して命を軽率にするような意味ではないのです。
この文を読んでいる皆さんは、その「命の懸けどころ」に出会った事があるでしょうか。一生に何度もある事ではないので、まだまだこれからという人もいるかもしれません。ただ私がこの文で言いたい事は、「命の懸けどころ」を見逃してはいけないという事なのです。映画「フラガール」の主人公は、幸いにもその瞬間に出会う事ができました。しかしそれは、人によっては何も感じずに通り過ぎてしまう事かもしれません。大切な事は、その瞬間に気づく、感じる自分を常に磨いておく事なのです。私自身は、一枚の写真から極真空手の道に入りました。大山倍達総裁の蝋燭の火を正拳突きで消している写真です。また、第五回全日本大会の決勝戦で盧山館長が闘っている写真を見て「この人の弟子になりたい」と思いました。
きっかけは案外身近にあるものです。また、何も準備のない者にはチャンスも素通りしてしまうものなのです。「フラガール」と「葉隠」の組み合わせも変ですが、どちらもためになるお話です。

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其の三
生きるが大事
最近、「いじめ」「自殺」といった胸が苦しくなるニュースが跡を絶ちません。何かがどこかで狂っているような気がします。一つ一つが同じではないので、実際に起こっている事件についてのコメントは控えますが、学校や家庭はもちろん、国を挙げて考えなければならない問題になっていると思います。
ここから先は私の思うところとして述べます。武道の世界においては「死ぬ気で」「命をかけて」などとよく言いますが、実際には最も大切にしているものが「命」なのです。生きているからこそ稽古ができ、名人達人の域を目指すことができるのです。幕末、戊辰の頃は多くの剣術家が命を落としています。大戦中には沖縄の高名な空手家が幾人命を落としたことでしょう。中国の武術家においても同じです。誰もが望むことではなく、修行半ばに命が果てることはさぞ無念であったことと思います。かの宮本武蔵がなぜ歴史に名を残す大剣術家になったか。それは命を大切にし、天寿を全うしたからです。己も生き、他も生かす。これを「活人剣」といい、武道の目指す境地の一つとなっています。
私は常々「生きることが忙しくて、死んでいる暇がない」と言っています。「先生方から学んだ技術を完成し、後進に正しく伝えること」が今の私の最大の仕事です。もちろん家族の将来ももっと大切ですが・・・病気や不慮の事故で思い通りにならないこともあるかもしれません。しかし、ハイそうですかと死ぬわけにはいきません。ですから病気にならないようにも気をつけますし、事故に遭わないようにも気をつけます。根っからストレスの貯まらない得な性格ではありますが、決して順風満帆というわけではありません。ただ多くの人が絶望するような状態を、思い詰めたりしない思考ができるように育ってきているだけなのでしょう。それはまず親に感謝すべきことでしょうし、その他私を育ててくれた多くの大人に感謝すべき事でしょう。また、少年時代に私と遊んだ友達にも感謝しています。いつも仲がよかったわけではなく、信じられないほどいじめられたこともあります。いやはやこれでもかと言うくらいに傷つくこともされました。しかし不思議と今の子ども達のような結果とならなかったのは、やりたいことがたくさんあって、意地悪されても泣かされても毎日が楽しかったからでしょう。友達もクラスの友達、趣味の友達、近所の友達などいろいろいたせいもあります。子どもの頃の人間関係が今の自分に大きく役立っています。
空手を始めてからは、大山倍達総裁の著書に励まされました。「私の空手道人生」などは、小学校高学年の頃に出会ってからは人生の教科書となったものです。本によって人生が救われると言うことは私の場合多いかもしれません。司馬遼太郎さんの「龍馬がゆく」を読んで社会科の教師になってしまいましたし、極真の分裂の時には「関ヶ原」が役に立ちました。不思議と自分の人生の節目には、自分の判断を助けてくれる本と出会っています。そう思えるのは私自身の性格もありますが、本によって悩みや迷いを解消したり、希望や楽しみを手に入れたりすることができるのです。はたして今の子ども達はよい本に出会っているのでしょうか。
先日、盧山館長と久しぶりに三峯山にご一緒させいていただきました。天気予報は雨でしたが、晴天に恵まれ、紅葉が金色に輝いていました。館長と一緒にいるとたくさんの「元気」をもらうことができます。南アフリカのボスマン師範も「笑顔の絶えないこの組織はすばらしい」と言っていました。一緒に稽古をして、滝浴びをして、次に会う機会を楽しみに日本各地、世界各国に去っていきます。一生懸命に稽古をして、「次に会うときには恥ずかしくない姿で会おう」という人間関係が私達の一番の財産です。どんなに辛いことがあっても、この財産がある限り生きていることが楽しみです。子どもの時から極真空手をやってきて本当によかったと思っています。
小説「功名が辻」の千代が、戦に行く夫一豊にいったことばの中に「お命のもちかえりこそが一番の功名」というものがありました。まさに「生きるが大事」ということです。

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其のニ
継続は力なり
このことばはあまりに有名というか定番というか、長く続けることは大切だよという意味のことばです。大山倍達総裁は、「石の上にも三年」という格言をさらにすすめて「石上十年」とおっしゃっていました。そもそも「極真」ということばは「千日をもって初心とし、万日をもって極とする」ということからきています。要するに、30年やって一人前ということなのです。
私も空手をはじめて30年が過ぎました。今になってようやくこれらのことばの意味が少し理解できたような気がします。盧山館長は、常々「修行とは一時の感情で行うものではない」とおっしゃっていましたが、空手を始めた頃は、いろいろな基本技を覚えるのが楽しいし、強い先輩を見てワクワクするものです。少し組手が強くなってくると空手をやってよかったと道場に行くのが待ち遠しくなったりもします。この辺が水色帯の頃でしょうか。ところがだんだん毎回同じ基本に飽きてくるようになり、はじめは興味を持って覚えた型もつまらなくなってきます。組手も先輩に手加減されなくなったり、顔を蹴られたりすると、楽しかった稽古が急に辛くなり始めるのです。この辺が緑帯の頃でしょう。あと一歩で黒帯なのですが、なかなか黒帯にたどり着けないのはこの時期に挫折するのだと思います。ここでもうひと頑張りして念願の黒帯に到達するとします。ところが、ここでこれまでの苦労が報われた気がして風船がしぼむようにやる気がなくなる人もいます。たまにしか稽古にこなくなり、たまに来てスクワットや腹筋をやると信じられないほど筋肉痛になってしまい、ますます道場から足が遠のいてしまうものです。「今まで鍛えたものは何だったのだ」という失望感に襲われるのです。「やる気」や「鍛えた体」というものは、熱湯のようなもので、熱し続けないと冷めてしまうものです。いったん冷めたものは、もとの熱さに戻るまで一から同じように熱しなければならないのです。
盧山館長は、「武道の修行というものは、一度その道に入ったら稽古の時間は「おつとめ」と同じなのである。1日4時間稽古をすると決めたなら、その4時間は武道に捧げた時間であり、自分の時間は1日20時間しかないのだ。」とおっしゃっていました。要するに「稽古の時間を引いた残りの時間で生活しろ」ということなのです。もちろんそこまでの決意の人ばかりではありませんし、週に1〜2度の稽古が精一杯の人もいます。それはそれでその人の決意次第で、長く続けることによって、自分自身の向上が図れるはずなのです。
武道の修行というものは、単純な稽古の中において常に自問自答を繰り返し、自己の向上を図ることが目的なのです。「つまらないことを飽きずにできる」という姿勢が長続きの基本ですし、長続きするからこそ目的を達成できるのです。
進学や就職、結婚や家庭環境の変化、健康や年齢など、武道の修行を断念しようと思わざるをえない壁はたくさんあります。やめようとすればどんなことでも理由にあげることができるでしょう。しかし、続けようと思えば何とかやりくりはつくものです。私も暇な仕事ではないので、いろいろと稽古のやりくりは大変です。今は朝5時に起きて、1時間の朝稽古が最低限の稽古となっています。夜の稽古は不規則ですが、おかげで今日は稽古ができなかったという日はありません。帰宅途中も車を止めてよく走ったりもしています。暗い山の中の公園でよく型の稽古もしています。古武道を始めた頃は、素振りの時間がとれなくて、帰宅して玄関に入る前に自宅の駐車場前で杖を300回降ってからということも習慣づけて行ったものです。3年前までは1日4時間くらいの稽古ができていましたが、今は仕事で苦しい時期と辛抱しています。まとまった時間はとれなくとも細々とした稽古を合わせると、結構何とかなるものです。5分あればスクワットは200回できますし、10分あれば砂袋で裏拳は500回叩けます。このペースで考えたら1時間あれば相当な稽古ができるのです。要はやる気です。
「継続は力なり」といいます。稽古を続けるためにいろいろとやりくりし、試行錯誤することが一番の修行なのかもしれません。

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其の一
極真空手を通して学ぶこと。
私が福島県支部長となり、12年が経ちました。空手をはじめて35年、盧山館長よりご指導を受けて30年です。年数だけはどんどん過ぎていきますが、最近あちこちで指導する機会をいただく中で、その時に、これまでの間に自分は何を学んだのかと自問自答をすることがあります。
もちろん「強くなる」という目標が最初から現在まで変わらぬ目標ですので、そのためにあらゆる稽古に励んできたつもりです。「我慢」もしましたし、「研究」もしました。私は人一倍怪我もしましたので、その都度「反省」したり復活にかける「執念」を燃やしたりしたものです。また、盧山館長との師弟関係の中で「尊敬」や「感謝」、「学びの心」なども身につけたかもしれません。極真館の組織の中では、「責任」ということを常に考えるようにもなりました。
数えればきりがなく、これだということはあげることができません。ただ、長く続ければこそ多くの人と出会うことができ、多くの貴重な経験ができ、そして多くのことを学ぶことができるのです。世の中は自分にとって都合のよいことばかりでありません。むしろ都合の悪いことの方が多いでしょう。しかし、都合の悪いときにこそ、「悩み」「考え」そこで多くのことを学ぶのです。盧山館長は、男が何かをするときには「我に百難を与えたまえ」という気持ちで取り組まなければならないとおっしゃいました。
極真空手は、厳しく、ごまかしのきかない空手です。若いときには強かったとか、帯の金線が何本だとかは関係ありません。「今、何ができるか」だけです。私は特に名人でも達人でもありません。ただ、今の自分を最良の状態にするべく努力するだけです。私が極真空手を続けていく中で学んだことは、実はこのことなのかもしれません。

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